小谷城を巡る[原風景に想うこと9]激戦と悲運の城を歩く@石川 利治
今回は琵琶湖東岸を北上して小谷城[1523-1575]に向かいます。小谷城の主、浅井長政の継室は織田信長の妹お市の方でした。越前の朝倉氏と同盟関係にあった浅井氏は信長とも同盟関係を結びます。
出丸からの眺め 正面に見える小山が信長が本陣を構築した虎御前山(とらごぜやま) 浅井氏の旗印が気分をあげてくれます
一方、幕府再興を目指す足利義昭は明智光秀の口利きで信長を頼りました。幕府の要請による信長上洛に際し、観音寺城を廃城に追い込み六角氏が敗れた事で、松永久秀ら敵対勢力が降伏し、義昭は15代将軍になることができました。その後、将軍の擁護者となって勢力拡大を目論む信長は天下統一を目指し、将軍権威の復活を目指す義昭との関係が悪化してゆきます。義昭が諸大名に信長打倒の密書を送ったところ、朝倉氏がそれに応えました。その動きを察知した信長は、朝倉氏の支城のひとつ金ヶ崎城を落とします。両者と同盟関係を結んでいる浅井氏は古くからの同盟を守り、信長に叛旗を翻しました。信長は挟撃され、窮地に追い込まれますが、秀吉、光秀を殿(しんがり)とした金ヶ崎の退き口[1570]で一命を取り留めます。ここから浅井・朝倉と信長の長い戦いが始まりが、その終焉の地が小谷城です。
清水谷から小谷山を臨む 山の頂上あたりが大嶽(おおづく)と呼ばれるかつての本丸 小谷城域の背後の守りを担ったとされます
小谷城は標高495m(比高230m)の小谷山に築かれています。山の稜線に挟まれた部分に清水谷という平場があり、平時はここにあった屋敷が居館であったとされます。背後の山全体が城域になっており、非常に広範囲にまたがる急峻な斜面をもった山城です。
滋賀県教育委員会作成の縄張図に長浜市歴史遺産課が2017年に行なった航空レーザー測量で作成した赤色立体地図を重ねてみました。白く浮き出た部分が、比較的平らな部分ではないかと思われますが、等高線と併せて見ると、山の尾根伝いに曲輪が築かれているのが良く判ります。
清水谷の大手道(追手道)から出丸を経由して山の尾根伝いに登城してゆきます。
縄張図の中央上側(東側)の金吾丸に隣接する番所から強固な城域に入ります。北に向かって進むと大広間と書かれている大きな曲輪がありますが、この入口部分に黒金門の跡が残っています。
黒金門を登ると、大広間のひときわ広い平場が現れます。発掘調査で建物の基礎と多数の器が出土したことで、恒常的に使われた居住空間があったとされました。城廓研究家の中井均さんはこの大広間にはお市の方と三姉妹が暮らしていたと予想されています。公的な表の場が清水谷の浅井屋敷に対して、山の上はより私的な空間であろうと。確かに、ここまでの登城の大変さを考えると、そう易々と行き来のできる行程ではないと身にしみて思いました。さらに発掘の結果、大広間は焼け落ちた痕跡が無いということです。織田方もお市の方と三姉妹を浅井方から受け取る際に、身の安全を確保するためにも館に火を放つことが無かったと考えることもできそうです。
大広間に隣接した一段上が本丸になります。本丸の側面に下がった所に赤尾屋敷という曲輪があり、ここが浅井長政自刃の地とされています。高く伸びた木々は陽の光を遮り、ひっそりと佇む墓石とともに曲輪全体を物悲しい空気感で埋め尽くします。
本丸の奥にはさらにいくつかの丸が存在しますが、その間を大きな堀切が渡り、城域を2分しています。
尾根をU字型に繋いだ頂上に大嶽(おおづく)と呼ばれるかつての本丸があり、小谷城域の背後の守りを担ったとされますが、まずここを攻略されたといいます。背後の守りを失ったことで浅井方の布陣が変わったのか、秀吉が清水谷から水の手道を登り城域の中心辺りに侵入し、京極丸に攻め入ったことが最終的な決め手になったようです。
実際に山城が戦場になることは殆ど無かったといわれます。その中で数度の戦闘が行われた小谷城は、稀なケースであり、尚且つ堅牢な城だったことが伺い知れます。その堅牢さ故に徹底抗戦を浅井方は選んだのか・・・今となっては知る由もありません。
追記:小谷城は場内の案内表示が豊富で、現在地もわかりやすかったです。各案内板には曲輪のイメージ図も掲示されており、想像力を掻き立てられます。ただ、城巡りのルートとしては大嶽あたりまでがメインルートなのか、福寿丸、山崎丸あたりは道が荒れていました。特に山崎丸からの下山ルートは道を見失うほどの雑草の茂り方で中々のスリルがあります。生きて帰ったという感慨に耽りました(笑)。
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