山城巡りを始めました[原風景に想うこと6]琵琶湖周辺の城址を歩く@石川 利治
今週のリレーブログを担当する石川利治です。しばらくブログのお休みを頂いており失礼いたしました。今回は以前に投稿しました「原風景に想うこと」の流れを汲んだ、歩いて巡るシリーズとして=山城=にテーマを絞ったお話を進めたいと思います。1週間、宜しくお願い致します。
31人会の分科会「建築家サロンin自由が丘vol.2」でお知り合いになったお客様と進めておりました[K-HOUSE_OHTSU]という戸建住宅をきっかけに、滋賀県に度々お伺いする機会を頂きました。敷地が琵琶湖まで歩いて数分という立地だったため、初めてお宅にお伺いした折に湖の周辺をご案内頂きました。初めて琵琶湖畔に立った折は対岸が見えないと思うようなその大きさに圧倒され、海と見紛うほどの広がりを感じました。ただ、波は穏やかで、潮の香りもない情景は、海とは異なった広大な水面が静かに佇む、今までに見たことのない[ここが何か特別な場所である] ことを強く感じさせられたのを憶えています。
琵琶湖南部に位置する大津からの対岸(琵琶湖北側)は福井県になります。南北に長い琵琶湖のさらに北側は日本海が若狭湾周辺で内陸側に入りこんでいることもあり、湖と海が近接しています。そのため、冬は遮るもののない湖面を渡って、日本海からの冷気が寄せてくることなども伺いました。太平洋側の関東平野を生活圏としている我々からすると、山脈を挟んだ日本海側は容易に行き来をしてきたといった印象はあまりありません(新幹線が開通してそのイメージも変わってきましたが・・・)。琵琶湖をとりまく地域では、日本海側の北陸地方との結びつきが強いのでは・・と感じました。
海と湖の水面によって、陸地が狭められる地形により、古くは奈良時代に幹線道路があった様で、人の往来(街道)が生まれました。戦国時代には琵琶湖東岸で中山道と北国街道などが合流し、また京にも近かったことあり、諸国を納める上で重要な位置を締めていたことが判ります。政治的にも経済的にもポテンシャルがあったこの地域が、度々の覇権争いの中心になったことも頷けます。
琵琶湖をとりまく城址の数々 赤マークは今回取り上げる予定の山城
特に戦国期には織田信長が琵琶湖城郭ネットワークを組んだ事も、その事を強く感じさせます。近江国(滋賀県)を手中に納めた信長は、琵琶湖岸を菱形に結ぶ様に4つの城を築きました。坂本城[明智光秀]、長浜城[羽柴秀吉]、安土城[信長]、大溝城[織田信澄]の4城で琵琶湖を取り囲み、陸上での連携もさることながら、水上での移動がなされたことが信長公記には度々記されており、この地の自然環境の恩恵を最大限に活かした国づくりを進めていたことが伺えます。次回以降は、琵琶湖周辺の信長の覇権争いと縁の深い城を見てゆきましょう。
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8. 原風景に想うこと8:観音寺城を巡る2/2 遺跡と化した山城を歩く
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10. 原風景に想うこと10:安土城を巡る 焼失しても生き続ける象徴的空間構成の力強さ
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